命の炎が吸い込まれる直前は

 老人ホームでは入院が付き物らしく、いつも誰かが入院している。

母のお婆さん仲間が入院されたので、お見舞いに行くことになった。
 

 
そのお婆さんが弱弱しい声で「早く(ホームに)帰りたい」と言って

泣くので、見舞うこちらが悲しくなる。

 

4人部屋だったが、枯れ木かと見誤るほどのお婆さんが3人、口を大きく開けて

眠っている。

タンが絡んでいるらしく、その音だけがノイズとなって病室に響いている。

 

アタシは100歳で亡くなった自分の祖母の死を思い出していた。

 

祖母自身は百歳長寿を目標に頑張ったようにも思うが果たして幸せだったのかな?

という気持ちが抜けない。

 

晩年の20年間は老人ホームで暮らしていたが、最晩年の秋、アタシは

ホームに祖母を見舞った。

見舞ったと言っても九州なので、数年に1回行けるかどうかくらいである。

 

祖母の世話をしていた叔母の話によると、殆どすべての時間、眠っているし、

起きていたとしても誰が来たのかもわからない状態だからと言われていた。

 

アタシは数年ぶりの祖母に声をかける。

「おばあちゃん、来たよ!」

 

そうしたら、祖母はアタシの顔を見てはっきりとこう言ったのだ。

「りんちゃん?なんでここにいるの?」

そして、大粒の涙を流した。

 

多分、アタシが関東地方から駆けつけたことをいぶかって

咄嗟に思考回路がこう巡ったと推測された。

 

「遠方より孫、来たる→誰かが死んだに違いない→もしかして大事な長男では!?」

 

 

祖母もまた長男病で、哀しいことに圧倒的な片思いだった。

 

そうこうしながら4か月が過ぎた。

 

百歳の表彰式を終えた祖母はそれから間もなく危篤になった。

 

祖母のホームに急行したとき、祖母の周りには実子たちが集合していたが

祖母の愛する長男の姿はなかった。

 

寄せては返す波のように荒い息を繰り返す祖母。

それは誰が見ても、命が尽きる前のろうそくの炎のように感じるだろう。

その瞬間を待ちながら、ただ黙って、少し遠くから実子たちが見つめている。

 

すると介護士さんが入って来て、オムツ交換の時間だからと言って

目の前で交換し始めた。

 

こういうときでも「時間厳守」なんだなと不思議な感覚でそれを見ていた。

 

しばらくして、また別の介護士さんが入って来て

なんと、祖母の口に「本日のお食事」を入れようとしたのだ。

 

誰が見ても、この人はもう命の灯を消そうとしているのに

平常通りの食事をさせようとスプーンを口に運ぶ。

 

それを何も言わずに、ただ黙って遠巻きに見つめている実子たち。

 

その異様さ加減に異議を唱えることも出来ないアタシ。

 

「業務はきちんと果たしましたよ。頂いているお値段分のお食事は

運びましたが、ご本人が召し上がらないので、このまま引き上げます」と

 

言っているかのような態度でそのまま介護士さんは退出した。

 

今にも命尽きそうな人といつもどおりの日常が流れている人と

それをただただぼんやりと眺めている人がいて、異空間のようだ。

 

いよいよ祖母の呼吸は深くなり、そのまま止まってしまう。

 

アタシは驚き、祖母の耳元で「おばあちゃん!おばあちゃん!」と大声で

祖母の命を引き戻す。

「ふーーーー」と祖母の呼吸が帰ってくる。

 

止まっては叫び、止まっては叫びを祖母の耳元で繰り返した。

 

何度かそういう時間稼ぎをしていたときに遠くに座っていた伯母が

アタシにこう言った。

 

「りんちゃん、もういい加減、逝かせてあげなさい!」

 

90越えの伯母がそう言うならば、呼び戻されるより、死ぬ方が楽なのかもしれない。

祖母は早く逝きたいのだろうか?

 

それから、すぐに祖母は再び呼吸を止めた。

 

今度は本当に引き潮のように命が吸い込まれていくのがわかった。

「ああ、逝かれてしまう!」と思ったけれども、もう止められないことも

わかっていた。

 

祖母の魂が祖母の体から離れて行く。

それを捕まえようと手を伸ばしたが何も捉えることは出来なかった。

 

祖母が一番愛していた長男はその頃、祖母の葬儀準備に忙しく、とてもじゃないが

病室に駆けつける余裕はなかったのだと姪のアタシに言い訳した。

 

「でも、りんこ、叔父さんは婆ちゃんが逝った瞬間は確かにわかったんだぞ!

何故なら、その壁にかけてある額縁がいきなり落ちたから、ああ、今、逝ったな

ってわかったんだ!そしたら、本当にその時刻だったから間違いない!」

と何故か、自信満々に断言していた。

 

離れていたせいで、祖母とは一緒に暮らしたこともなかったが

祖母とはいろんなところに一緒に出かけた。

香港に一緒に行ったときは祖母の信じる「念仏」を暗唱するまで

寝かせてもらえなかったこと。

 

娘であるアタシの母とうまくいかなかったこと。

 

子どもは神様から預かっただけと思い直して生きて来たこと。

 

そういう祖母の問わず語りを思い出す。

 

祖母は幸せだったのかな?

 

今にも枯れていきそうな病室のお婆さんがナースに吸痰されている。

「ガーーーッ」って音が周囲に響く。

 

「早くホームに帰りたいから、りんちゃん、あなたからも

お医者さんに言ってね」とか細い声で泣きながら訴える母の友人お婆さん。

 

「わかったよ。ちゃんと言っとくからね」と言って、母を連れて病室を出る。

 

母もいずれ枯れ木になってしまうのだろうか。

そのとき、アタシは命の灯を呼び戻そうと叫ぶのかな。

 

老人病棟のお見舞いはただただ切ない。

 

 

 

 

 

 

コメント

  1. ゆきうさぎ2015年12月7日 20:02

    たびたびの投稿お許しください。
    りんこさんの介護のお話を読んで 色々思い出していました。

    私の祖母も90歳を過ぎて 働いていた長男のお嫁さん(伯父は死去)が
    介護の限界になり 老人病院に入院。
    高校生だった私は家族と何度かお見舞いに行きました。
    やはりお部屋の人達は皆枯れた感じで口を開けて寝ていて
    紙おむつ 胃ろうが義務のように行われていました。

    祖母は大人しい穏やかなおばあちゃんだと思っていたのですが
    私が顔を近づけたら「男たちは何もわかっていない」と。
    耳が遠くて皆が何か言っているのがよくわからなくて 
    何か言うのも面倒でにこにこしていたけど 実は父をはじめとする
    息子たちには不満いっぱい 言いたいこといっぱいだったんだ
    おばあちゃんの本当の気持ちを誰も何もわかろうとしなかったんだ
    って その時気づき、女の孫では一番年長だった私に本音を教えてくれたことを 
    嬉しくあったかく感じ それから一人でも何度かお見舞いに通いました。

    父は老人病院で一度だけ祖母にすごくお世話を焼いてあげて
    「俺は一生分の孝行をした」としみじみ満足していたけれど
    そのとき自身のお母さんの介護をしていた母も それを手伝っていた私も
    なんだか白々しくさみしく感じてしまいました。

    ほどなく祖母はなくなりました。最後の方はタンが絡んで苦しそうでも 
    介護の人は忙しくていつまでも吸ってくれなくて。
    叔母は祖母が苦しんでいても遠慮して頼めなくて・・・。
    亡くなって楽になって良かったと大人たちは言っていたけど 
    高校生の私の心は複雑でした。

    祖母の家はちょっと遠くにあり年に数回しか行けなかったけれど 
    もっとおばあちゃんに優しくしてたくさんお話していれば と
    今でも 私たちがおばあちゃんの家を後にするとき 振り返ると
    いつまでも道路で手を振っていた姿を思い出します。

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  2. ゆきうさぎちゃん
    コメントありがとうございました。
    高校生の感受性も強いときの体験なんですね。

    祖母に対する思いと親に対する思いはまた違うような気もします。

    自分がキーパーソンではなく、遠くで見守られる存在だからですかね。

    私ももっと話せば良かったなぁって思っています。

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  3. ゆきうさぎ2015年12月13日 4:39

    入院費やお見舞いの割り振り 先のお葬式のことなど
    大人たちは大変だったのでしょうね。
    あの頃の私はそんなことはぜんぜん考えなかったし
    年に数回しか会えなかった祖母には いい思い出ばかりでした。
    鎌倉の海で泳いだ後 おばあちゃんが握ってくれた
    味噌おにぎりの味(臭いけど美味しい)が忘れられないなー

    昨日はありがとうございました。
    とっても楽しくほんわかするひと時で、リフレッシュして帰れました。
    飲み会は参加できませんでしたが 盛り上がりが想像できます。
    りんこさん 飲んで帰ったはずなのに ご報告のアップが
    すごく早くて驚きです!

    ゆきうさぎ@yukiusa 

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    1. ゆきうさぎちゃん、あの日は地元で0時半まで飲んでました(≧∇≦)
      おばあちゃんの思い出があるのは
      良いことだよね。

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