それぞれの悼み(その3 完)


 今週の14日で早いもので、犬娘の49日を迎える。

当初からあまり実感がないので、引き続き、その状態が

続行中って感じである。
 
 
 
                                  ↑我が家の可愛い美人犬娘(今年の4月撮影・13歳) 

 


犬娘が逝ってしまって3時間ほど経った時に

「このままにはしておけない」ということに気付く。

 

人間と一緒で葬儀準備に入らないといけないのだ。

 

その時は都合よく人間娘が家に居たので、人間娘が呆然と

している母を横目にしながら、検索をかけて、色々と情報を

得ていた。

 

「動物専門の寺があって、そこに運び、読経をあげて火葬。

その後、骨は持って帰ってもいいし、その寺に埋葬でも良いって。

 

火葬も合同と個別で選べて、埋葬も個別と合同に分かれるって」

 

「そうなんだ~」と私。

 

「もうひとつは火葬用の車が家まで来てくれて、自宅前で

火葬にしてくれてお骨も自分で拾えるパターンがあるけど?」と

人間娘。

 

「こっちのパターンだと24時間OKで、お骨はパウダーに

してくれるらしいよ」と付け加えてくれる。

 

費用も動物寺は個別火葬のお骨1年寺預かりで5万円くらい。

(その後は合同墓か個別墓かで値段は変わる)

 

自宅火葬車使用の場合は24千円也。

 

その時は頭がおかしいので、値段のことは全く気にならなかった。

 

気になったのは「お寺」すなわち菩提寺が出来てしまうってことだった。

 

こころを遺すと言うのか、気になる場所をこれ以上、増やしたくないって

いう気持ちが優先された。

 

パウダーか・・・。

粉になって、海に散骨ってことになったら、そっちの方が

いつでも会えるしな~って心が傾く。

 

人間娘が言う。

 

「江の島沖で散骨するのもできるらしい。その場合、別費用5万円だって」

 

なんでも、犬猫骨は家庭ごみ扱いだとかで、散骨も「このエリア」

という人間様のような制限がないんだそうだ。

 

だから、どこに蒔こうが基本、なんのお咎めもないって話だ。

 

そうだよなぁ、寺に葬られても、自宅からわざわざ車で出かける

距離ならば、徐々におまいりの足は遠のくだろうに

気持ちだけは、そっち方面を気にしていることになるよなぁ・・・。

 

私はいいけど、子どもの代になって、まさかの墓管理料なんてもんが

発生しては余計な火種を作りかねない。

 

やっぱり、もうこの世に思いを残すところを減らしていこう

 

って気持ちになった(人間様の墓管理で辟易してんの、アタシ。

故に自分自身もパウダーになって、散骨希望なのです)。

 

犬娘が亡くなった翌日の夜遅くに、葬儀屋さんに来てもらう。

 

葬儀屋さんに「あのぉ?本当に死んでますよね?」と

言ってみるけど

 

「獣医でないんで・・・」とやんわり断られた。

 

葬儀屋さんは最初、人間の葬儀専門の大手にいらしたそうだが

あまりのぼったくりさ加減に嫌になり、適正価格の直送葬儀屋さんに

なったらしいが、その後、ペット葬儀に需要を見出し

今はウハウハなんだそうだ。

 

着火の決心が中々つかないアタシを辛抱強く待っててくれた

葬儀屋さんなんだが、結果として、自分の手で運び、

お骨になる間もずっと付き添えて、自分の手で犬娘の骨も拾えたので

葬儀としては満足している。

 

その後、ミキサーでパウダーにされて骨壺に収められたのだが

 

「納骨日」と決めた日に人間娘が大幅に遅刻して、周囲は真っ暗と

いう時刻に現れたので、納骨中止となったのだ。

 

結果、まだ家にいるっていうことになっているが

折を見て、庭の犬娘が愛した木(そこでよく催していた)の

根元に散骨しようと思っている。

 

犬娘の両親(つまりダンナとアタシ)は「いずれ、花が咲いて

根元から金銀財宝が出て来るかもな」と狸となっているが

 

これがいつも、いつまでも、一緒にいられる最高の方法の

ような気がする。

 

犬娘がいなくなって「辛いでしょう?」「思い切り泣きな~」と

みんなが言ってくれて、ありがたい。

 

ただ、全然、涙が出ない。

 

なんだろう、5秒ごとに「あ!あの子に〇〇しなくちゃ!」と

思っては「ああ、もういないんだっけ」という存在のなさを

一回一回、丁寧に辿っているのが現状だ。

 

家族で「犬娘がいなくなったことに関する一考察」なんて

話題は出ないけれども、ダンナはダンナで

 

息子は息子で、娘は娘で、そして私は私で、それぞれの

悼みを抱えながら、犬娘のことを瞬間、探して

その存在のなさに驚くという日々を重ねている。

 

でも、なんだろう。

 

寂しいのは寂しいし、あの毛触りとか、抱き心地とかを

いつも求めて、その存在を目で探してしまうけど

 

私は最近、なんだか、いつも一緒にいるような気がしているのだ。

 

一体感が増しているというのか、いつでも傍にいてくれる

ような感じがする。

 

これが時間薬なのかなぁと思いながら、小さな骨壺を両手で

握りしめる日々が続いているのだ。

 

木の根元に置いて、自然に返すという作業は当分、先かもしれない。

 

 

 

 

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