映画「四万十~いのちの仕舞い~」を観て

 
 まだ、季節が冬だった頃に観た映画なので、東京では上映終了かも

しれません。しかしながら、全国では上映準備中という地域もあるので

これから行けるチャンスがある方にと思い、記します。



 

これね~、しみじみ良いドキュメンタリー映画です。

 

舞台は高知県四万十市ですね。

町の中央を大河である四万十川が流れる流域には、人々を医療の面で

支える内科医の小笠原望医師がいます。

 

先生が営む診療所には朝から晩まで大勢の患者さんが押し寄せますが

先生は、そのひとりひとりの話を聞き、やさしく語りかけ、

ゆったりと患者さんを診ていきます。

 

また、先生は診療所までは来られないお年寄りを中心に、往診もしています。

 

病を診ているのですが、同時に家族ごとその患者さんを丸ごと診ている様が

画面には映し出されて行きます。

 

四万十川の豊かな水量と、四季の美しさ、きらめき、円熟、荒々しさ、

そして、はかなさを撮りながら、ゆったりとした映像が流れます。



 

キャッチコピーはこの言葉です。

 

「生まれたら死ぬ 単純なことながら

 

しあわせと思えたら、それがしあわせ」

 

恩恵も厳しさも併せ持つ自然と、その大河と共に生きる市井の人々。

逆らうことなく、その両方の「いのち」に寄り添う小笠原先生の日々を

カメラはただ淡々と追っているのです。

 

ナレーションのほとんどは小笠原先生が担当されています。

 

このお声がね、またいいんですよ。

何て言うのか、自然も人間も自身のいのちを育み、そして、

また自然に還るってこと、それを

淡々とね、けれども、あったかく包みこむように話されるので

 

名も知られず、歴史にも残らず、後刻には誰にも存在すら認知されずとも

人は確かに生き、そして、春夏秋冬を感じながら、やがて生を終える

 

これもまた素晴らしきかな人生ではないか・・・ということを

観客のこころに自然と染み込ませるような、そんな映画です。

 

年を取り、寝たきりとなり、自身の終末が迫ってくる中

 

医師に「痛いところはないか?」と聞かれ

「なんも痛くない」と淡々と答えるお婆さん。

 

終末医療、在宅医療は実際にやるとなると、支える家族の負担は相当な

ものがあるのですが

 

こういうお医者さんがいてくれて、生まれ育ったであろう町で

馴染みのある場所で、生き、死んでいくことは

 

なんとも贅沢のような、羨ましささえ漂います。

 

日常生活の延長上に生があり、死がありという過程はとても自然なこと

なのに、今の日本ではとてつもなく難しいことでもあるよなぁとも思います。

 

私個人は先ごろ、母の1周忌を迎え、延命治療を選択しなかったこと

 

私自身の責任で母の命の終止符を決断したこと

 

看取りまでの間、付きっ切りでの約ひと月を過ごせたこと

 

もちろん「あの時、あの時」という後悔は抜けないけれども

 

自然な死に近かったようにも思え

 

両親の死に関して、直後からも涙が全く出ないのは、ある意味、

やり切った感が強いからのような気もしています。

(もちろん、年齢もお年寄りってことが大きいです)

 

自分が出来ることは少ないし、力も足りないことばかりだけど

それでも、親の「仕舞い」に関しては自然に近い形で、

やれることはすべてやってきたって、そういう思いがしています。

 

ただ、小笠原先生のような人がいない中、先が読めないことを

やり続ける「都会の生活」は、自身の健康を害してしまうほど

壮絶になるので

 

この国の老人たちの終末期、やがて自分も行くであろう近未来。

そのために、どういうことが必要で、何が足りず

 

どうすれば、本人と家族にとっても満足のいく結果になるのかを

考えていきたいと思っております。

 

映画は「生まれたら必ず死ぬ。蛍も人も同じ原理の命」という

小笠原先生の言葉で結ばれますが

 

「本当の豊かさ」「本当の幸せ」とは何かを探る内容になっていて

美しく、そして、とてつもなく深いものです。

 

機会があったら、是非、ご覧ください。
 
 
 
 
 
 

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