ミューズと私たち(昭和・平成の歌姫とガラスの天井)

 
「安室はひばり・百恵・聖子と何が違うのか

昭和・平成の歌姫とガラスの天井」

 

というタイトルのプレジデントオンライン寄稿コラムがアップされました。


https://president.jp/articles/-/26236

 
 

↓ こちらはYahoo!ニュース版(コメント機能付きです)
 


 

芸能史というよりも、女性側から見た時代の変遷を

歌姫たちの生き方を通して眺めたら、面白いんじゃない?って

発想で取り組んだ作品です。

 

もしよろしければ、ご高覧いただけると嬉しいです。

 

私はよく人から「専門は何ですか?」とか

「どこを目指しているんですか?」って聞かれるんですよ。

 

「私は学者でも医者でもないから、専門はないですし~」って答えます。

 

絶対、納得してもらえないですよね~。

 

「私は○○でござい!」って宣言することを求められるって言うか・・・。

 

でも、逆に「決めなくてはいけないの?」って思います。

 

私は私で、それ以下でもそれ以上でもない、他人様から見たら

どうでもいい存在です。

 

それは多くの人がそうであるように、私も同じです。

 

 

私に限って言えば、その時々に我が身に起こっているマイブームに

ついて勝手に語るってイメージでしょうか。

 

それが、最近、自分に向かって吹いている「ジェンダー意識」

でありまして、更に超えてあらゆる「差別と区別」に

興味が移っております。

 

なんで人は区分けして、棲み分けることを善しとして

それ以外を排除しようとするのか?

 

そういう疑問がここ数年のマイブームになっているわけです。

 

なので、いつもいつも「中学受験」についてとか「介護」に

ついてを「評論」するわけでもないですし

 

プロとして、全てに責任もって発信はしていますが、それオンリーの

「専門家」とも思ってないというか、もっと精神的には常に自由で

いたいし、ずっと勉強していたいって気持ちが強いです。

 

これは、誰であっても、そうなんじゃないかな?って思うんですよね。

 

「あなたは何の専門家ですか?」って問うってことは

ある意味、とても危険だと思います。

(まあ、聞く方にしたら、カテゴライズして仕事も効率よくって

願いますから、肩書って便利は便利ですよね。そこは認めます)

 

何かの専門家でなければいけないという強迫にも聞こえますし

 

「こうあらねば」「こうあるべき」がどれほど、苦しい生き方を

強いているかな?って思っています。

 

特に、中高生の母の皆さんは気を付けねばならないことのひとつに

 

自分だけならまだしも、自分とは違う人生を歩んでいる我が子に

「ねば・べき」を突き付けすぎてはいけないってことです。

 
毎日のように、相談が入ります。

(完全、ボランティアなので、お返事は絶対にしますが

『今すぐ返事!』とか『情報教えろ!』とかせっつかないで頂けると

気持ちが萎えすに済みますので、お気持ちはお察ししますが

ご協力頂けると助かります<m(__)m>

 

特に進学校在籍で、我が子がうまくいっていない(そもそも、

うまくいくってどういうことを指してるの?って所から

私には『それじゃ、無理ぽ~~!?』ですが・・・)と

思われるママたち。

 

価値観を変えるのはとても難しいし、時間かかります。

 

コラムに書いたように、時代の空気もあるし、価値観も少しずつしか

変わらないからです。

 

でも、時代は確実に動いているんですね。

 

子育てもそうです。

 

すべての問題が「こうあらねばならない」という、ものすごい狭い世界の

基準で成り立っています。

 

「あなたはこういう肩書」

「肩書があるなら、それをやらなくてはいけない」という生き方を

強いられた方が楽な人も実際いるかもしれません。

 

でも、もし、それが苦痛であるならば、他人は動かすのは大変ですが

まずはあなた自身から、そしてあなたが子育てに悩む親であるなら

親という立場から、それを振りほどくということが打開策に

繋がるよってことが言いたいわけです。

 

せっかくのこの時代を生きている私たちですから

もっと自由に生きたいなって思う次第です。

 

流れゆく、雲を掃きたる、ススキかな(りんこ←プレバトの夏木先生に

影響を受けて、一句詠む、見習い俳人でつ~~.
 
俳句、ムズッ!!)
 
 
 
 
 

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