仁義に反する文句の付け方

 


最近さあ、よく思うんだよね。

ネットって便利だけど、やっぱ色んな問題

あるなって。

 

そのひとつが「文句の付け方」。

高尚な言い方をすれば

「上からモノ申す、ご指導ご鞭撻」。

 

今、とっても良くないなって思っている事が

「最初から批判ありきの批判」。

 

どっかの国の野党みたいだけど

中身よりも「とりあえず反対!」って感じで

 

俯瞰でモノを見ずに、その発信する人物が

「好きか・嫌いか」という感覚だけで

批判というよりも、断罪しちゃう怖さがある。

 

私ごときでも、どっかのメディアで発信

すると、凄まじいほどのバッシングを頂く。

 

物書きはそれも含めての物書きなので

自らの言論の自由を有するためにも

受けて立つ心構えは必要だとは思う。

 

ただし、それに値するのは、きちんと

読んで、しかもきちんと名乗ってでは

ないかな?とは思っている。

 

匿名で言いたい放題って言うのは

どうなんだろう?と常々考えるところだ。

 

今の世の流れって、とても怖くて

あまり物事を深く考えていない人が

簡単に「コイツは悪い奴!」って決めつけて

匿名の大多数が「そうだ、悪い!」となったら

「重罪人」とばかりに、安全地帯から一歩も

出ない人間が石を投げつけることにあると思う。

 

色んな意見があって当然で、どの意見も

尊重されるべきものだとは思うが

 

果たして、対岸から火事を眺めるだけでは

飽き足らず、ガソリンを投下しまくる匿名人の

意見って、尊重すべきものだろうか?

 

まあ、これはいくら言っても、どうにも

ならない問題なんだが

 

私が今日、お伝えしたいのは別の事だ。

 

ちょっと前にこういうことが立て続けに起こった。

 

私が書いたコラムに対する批判だ。

批判は歓迎する。そこで著者も思考が深まるし

上質な議論に昇華できれば、広く長い目で見ると

社会が良くなる一粒の砂になる可能性があるからだ。

 

その批判は多分、若い人からのものだった。

 

両方、こういう感じだ(コラムはそれぞれ別テーマ)。

 

「あなたが書いたもので、○○が傷付いている。

或いは〇〇が傷付く可能性があるということを

お伝えしておきたい」

という主旨の内容だ。

 

ひとつは〇〇は個人名。ひとつの○○は抽象的な

存在である。

 

筆の力は強いので、意図しない所で誰かを傷つける

可能性は常にある。

それを十分に理解した上での発信でありたいと

自戒はしているが、すべての人からご批判を

受けない文章は“物書き”である以上は

とても難しいことである。

 

そこを踏まえて、今回の(多分)お若い方の

ご叱責には違和感を覚えた。

 

まずは「自分自身が傷付いたわけではないこと」

 

それを「傷付いた人がいる、或いはその可能性が

ある」ということを著者に「お知らせ」するって

どういうことなんだろう?

 

「撤回しろ(書き替えろ)」と要望して

いるわけでもなさそうだ。

(はっきりどうして欲しいのかを言わない所が

なんだかなぁっていう気持ちが増す。

「教えてあげた!」ってことで終わっている)

 

しかも「匿名」だ。

 

もちろん、私は直接、返信する。

 

「自分はこういう信念を持って、こう発信した。

誰をも傷つける意思は持っていないが

そう捉えられたならば反省すべき点もあると

思うので、話をしましょう」と。

 

「出来れば、その傷付いたという方に

直接、話をしたいので、その方と連絡が

取りたい」

 

或いは「色んなお考えがあって当然だが

そのお考えは私は違うと思うが

本当にあなたが言うように、傷付く人が

出ているのだろうか?もし、出ているのならば

それは、この文章で傷付いているというよりも

もっと別の原因ではないのか?」と。

 

まあ、私も自分の考えだけが正しいなんて

露ほども思っていないので

「では、こうしましょうか?」みたいな

ご提案をすると

 

決まってこういう方たちは

トーンダウンするのだ。

 

「あなたの考えは分かったので

もういいです」みたいな感じだ。

 

おい!?

やめるんかーーい!?

 

物書きに思考の訂正を求めた意志は

それほど軟弱なのか?と拍子抜けする。

 

「いやいや、傷付く人が出るなら

それはやっぱりほってはおけない」

 

ということで、もう一度、メールすると

大抵、そのアドレスごと消えているのだ。

 

私は思う。

クレームはどんなことでも、相手方に

真摯に対応してもらおうとするならば

それ相応の仁義は切るべきだと思う。

 

それが直接クレームを寄せる目的を

達成する手段になるからだ。

 

まずは、友人、或いは大事に思っている集団の

気持ちを代弁するのだという隠れ蓑を

利用することなく

 

「自分はこう思う」或いは「自分はこう

傷付いた」ということを言って欲しい。

 

そして、その際は匿名で逃げないで欲しい。

 

そうすれば、執筆者ならば、真剣に対応して

議論を深めようとするだろう。

 

今はネットがあるので、どんな人とでも

(昔は雲の上過ぎて、一生、接点を持てない

人であっても)直接、連絡を取れることも

可能な時代。

 

だからこそ、ただの「文句付け」で納得する

のではなく、その先を見据えた上質な議論に

昇華できるような“ツール”として

ネットを使ってはどうかな?と

 

多分、若いと思う、誰か分からない人に

対して、そう思っている。

 

 

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