やはりカエルの子はカエルと見た





 リソー教育の「お母さんの参考書」という

コーナーで連載中の鳥居りんこコラム。

 

今月号は

「我が家流のアクティブラーニングを考える」


 

仕事柄、賢い子(偏差値というよりも、例えば

高校生ならば学校があらゆる分野で期待を

寄せている子)にインタビューする機会が

ものすごく沢山あるわけなんだが

 

めちゃ頻繁に感じるのは「おかんが賢そう」
 
ってこと。 



おかんが東大卒とか、そういうんじゃなくて

(それもあるけど)

学歴に関係なく、人として「ちゃんとしてる」
 
って言えばいいのかな?

 

そういう人に育てられると賢い子が育つんだなぁ

って実感することが多い。

 

いろんな「ちゃんとしてる」があるんだけど

 

例えば、視野が広い。

 

真実を見抜く力があるっていうのか

キャパが広いっていうのか

 

世の中にはAが望ましいとされていても

Aでなければならない意味を疑っているし

臨機応変に考えられるから、真実に

より近くなるイメージ。

 

その「真実」に対しても、疑っている

もしくは言葉を変えると、柔軟に考えられるので

 

子どもが違うやり方でアクセスしていたとしても

意外にも大きく構えているイメージのが近いか。

 

そのためにおかんが勉強して、視野を広げている

っていうことがすごくよく分かる。

 

あるおかんは園芸に燃えていて、悪戦苦闘しながら

しかも楽しみながら、薔薇の品種改良を趣味で

していたんだが、これが結構、一筋縄ではいかない

作業らしい。

 

その時に「植物を育てることも子育ても基本同じ」

って思ったらしい。

「なにひとつ思うようにはいかない」

 

それで、こう考えたらしい。

「必要に応じて手助けはするけど、それ以上は

その子の伸び具合を信じる」って。

 

つまり、なんだ。

生活するに必要なエサやりとか、暮らしの

手助けはするし、例えば、学習環境は整えるけど

それ以上はやるやらないも含めて子どもの

自由って方針だった。

 

このコラムで言えば、子どもが喰いついてくる

ような「仕掛け」は沢山、用意するけれども

それに喰いつくも、喰いつかないも自由って感じ。

 

その子に聞いたら、おかんが楽しみながら

そして試行錯誤しながら、薔薇を愛おしく

暮らしに取り入れている姿から

ごく自然に「日々の暮らしは己の考え方

ひとつで豊かになる」って感じてたんだって。

 

なんだろう、いろんな賢いおかんを見てきたが

共通項は多分「子どもは別人格」ってのがあって

 

親だから当然、衣食住の面倒はみるけど

その衣食住は子どものためもあるけど

自分自身の気分を上げるために

ちゃんとした形でやっているように見えるし

そこに「遊び心」があるんだよね。

 

つまり自分が人生を謳歌している姿を

見せていて、その謳歌するものが

ちゃんとしているって言えばいいかな?

 

いろんなことをめんどくさがってない。

 

あるおかんはリソー教育のコラムに書いたように

「スーパーマーケットはこの世のワンダーランド」

って言うんだよね。

 

算数、社会、理科、あらゆる学びがあるから

子どもの問いに答えてきたのが楽しかったって。

 

そういう母の元で育つと、本当に自然に

世の中には国同士の貿易があり、為替があり

数字の必要性もあって、数学が得意だと世界が

広がるってことだとか

 

消費税一つとっても税金は昔、西欧は塩だった

日本は米だったから、何故、社会保障制度があるか

とか、そういう世の中の基本を年齢に合わせて

雑談でもある、日常会話の中で楽しく学ばせて

いるんだなぁってわかって興味深い。

 

そういう勉強っぽいことも織り交ぜながら

子育てを楽しんでいる人が結局

賢い子を育てるんだなぁって思って

 

結局、なんだろう?

 

あらゆる知識欲を刺激しながら、我が子の

自己肯定感を上げていくってことなのかな?

 

って思っている。

 

リソー教育のコラムは「中学受験生のゴールデン

ウィークの過ごし方」


 

よろしければ見てみてね。
 
 



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